My Story
幼少時の事はここで書くまでもないが
小学四年生くらいにはすっかり生意気なガキであり
小六の頃は目も当てられないクソガキであった事は間違いない記憶である
中学時代は、、、まぁどうでもいいか笑
自らをここで写真家と名乗るのも
気がひけるのだが💦
高校終了時
将来に対する具体的な行動は起こしていない
謂わばフーテンである
父は写真業を営み
家には暗室があり
子供の時から写真が身近であった
近所にいた写真家が親父と同業ということもあり
随分に可愛がってくれた
私は無意識に
自分はカメラを使う仕事がしたいと
決めていたようだ
そしてその写真家やデザイナーがいる
会社で所謂コマ使いとして約1年働く
そこで色々学んだ結果は
カメラを使う仕事は相当容易く無いと言う事だった
私は学歴が無い、スタジオに入って何年か経験を積むというプロセスは恐らく無理だったろう
この世界がある程度学歴で
仕切られていることに気がついていた
私は会社で出入りをしていた
物撮りのカメラマンの所で本格的に
カメラの所作そしてライティングの基本を学ぶ事になる
4×5のカメラを本格的にここで学んだ事は
私のその後に大きな影響があった
お金がないのでトラックの運転やロケバスの運転など
日銭を稼いで地味に貯めた金で
CanonNewF1と何本かのレンズを買い
写写真というものにというものに
本格的に挑むことになる
2021/06/26更新
私に多くの影響を与えてくれた先人たちには感謝しかない
話の時間軸が前後してしまうが
その何人かを書いていこう
そもそも何の将来の展望もなく大した努力を経験する事なく生きてきた私は
高校3年の春、もう卒業という時にも何もなかった
一応卒業くらいはしておこうと思っていたが実はいくつか単位が足らなかった
その中で最も難儀だったのが国語である
国語と言うよりはその教師であったろう
私の人生の中で小学四年生の担任とこの国語教師は困った存在だった
この場面ではこの位にしておくが出会うべきではなかったと今も思っている
単位のためにあれこれ掲示された条件を友人の力でクリアしていったが
それなりに自分でも解決しようと学校の隣にある書店に何度か足を運んだ
書店の楽しみは女の子の写真集だった、当然中は見ることのできないシュリンク入りの本は
私に未知なる冒険を思わせる想像を掻き立てるものだった
そこに肩を並べるようにあったのは洋書的な写真作家の本たち
私は徐々に興味が湧き手に取った一冊が
エド・ヴァン・デル・エルスケンと言う写真家の作品集でその本に何故か衝撃を受けてしまった
とりわけ「鏡の中のアン」と言うタイトルの写真はいまだにわからない衝撃を受けてしまった
モノクロでできたその写真はいまだに私の壁である
私が人生の行先を決めたのがあの本といえる
結局単位が取れたかは覚えていないが高校が終わると私は途轍もない怠け者になっていた
何かを始めなければいけないが何をしたら良いかもわからない
初めからすら分からない行動を起こせないでいた、しかしこのままではヤバいと思い始めたある日
私はフラっと映画を見に行った
「コーラスライン」この映画を見て私は行動を起こす決心をした
根っこが単純なのでそうと決まるとせっかちでしか無い
先に書いた近所の写真家の事務所にお世話になりたいとお願いしに行った
初めは何色を示されたが何度か手伝いに行ったことがあり受け入れてもらえた
若さ、とりわけ頭が悪いので馬力で自分を示すことしか知らない私はそれだけで生き抜くことになる
失敗だらけでかけた迷惑は銀河系の図表並み
役にったっていたのはおそらくそこにいた人達の車磨き位だったろう
しかも時々手抜きを指摘されていた(ノ_<)
みんなに呆れられていたと今でも思う
お世話になったの写真家はミューミュージック界では知らぬモノがいない級の巨匠で
撮影なんて月に一回ある無しだったが
歌姫MNを初め沢山のスゴイミュージシャンを目の当たりにできたことは素晴らしい経験だった